保育と教育

命について考える

2019年9月2日。1年前、わたしは当時のHPのブログで以下の内容をつづりました。

あれから1年が経つなんて、にわかに信じがたい。時の流れは早く、実感も何もないままです。

大切な友人を亡くしました。まだ若く美しい彼女がこの世を去った事実は、わたしともう一人の友人を空虚に落としました。今でも変わらず彼女の話をし、旅行に行きたいよねえと話しています。

改めまして、よかったら命について考えてみてください。年に一回くらい、そんなことを考える日があってもいいかもしれません。

2019年9月8日のブログ

ご無沙汰しております!ばたばたと慌ただしく毎日が過ぎており…。久しぶりの更新となりました。


今日はちょっと保育・教育の人として大切に思うことをお話ししようと思います。うまく伝わらないかもしれませんが、自分なりのひとつの区切りとしてここに書くことにしました。

実は先日、大切な友人が亡くなりました。闘病していた彼女に、来週会いに行く予定でした。

詳しくは申し上げませんが、もう1人の友人と3人で、いつもどこでも一緒だった、文字通りかけがえのない人でした。ばーさんになっても、3人で旅行や温泉に行こうねって約束したのに。

それはそれは言葉にならないほどで、心を体を引き裂くような悲しみと痛みです。これを書いている今も、涙が出ます。未だに受け止められていない気がしますし、書くのもためらっていました。すべてのSNSをストップしたものの、何も知らない友人や知人にいつも通りLINEをするのも辛かったのが正直なところです。

訃報を聞いたのは、職場でまもなく自分のプログラム(レッスン)が始まるという時でした。裏で号泣してしまい少し揺れていたかもしれませんが、プログラムを変わらず全力で行った自分を褒めてやりたいとその時は思ったものです。悲しくて悲しくて、悔しくて、寂しくて、悲しくて、翌日は急激な腹痛に見舞われ滝汗をかき意識朦朧としたりもしました。

わたしはこれまで生徒たちに、命について話したことが何度もあります。プログラムでも、避難訓練でも、プールでもスキーでも。まだ幼い子どもたちに、死というものを伝えるのは怖いです。でも、生徒たちを愛している以上、保護者からお預かりしている以上、死なせるわけにはいかないのです。

例えば避難訓練で、訓練とわかっているからふざけてしまっていたら。「死ぬってどういうことかわかる?パパママ、じじばば、きょうだい、お友だちにも先生たちにも、もう会えなくなるんだよ」「話を聞いて、自分で逃げないと死ぬこともあるの」「死んでほしくない。毎日みんなで楽しくすごそうね。だから話すよ」

プログラムでは、いじめや命の尊さについて。お出かけでは、自分たちで安全について考えられるように。言葉遣いでは、「死ね」なんて言葉を決して使ったりしないように。

命の重みと、ひとりひとりのかけがえのなさをしつこいくらいに話した気がします。わたしの顔も怖かったことでしょう。でもそれだけ真剣でした。このかわいいかわいい子どもたちが、できるだけ毎日を楽しく幸せに、そして長生きしてほしいと思いながら。

まだ子どもたちには、死というものも、人の痛みという概念も薄いかもしれません。でもいつかは、わたしたち大人と同じように辛く悲しく苦しいことが起きる。

それまでの間に、知ってほしい。人の死には後悔が付いて回るから、自分の命も人の命も大切にしてほしいということを。

これはわたしの勝手な願いですが、これを読んだ大人の方々。どうか、ご自分を大切にされてください。そしてお子さんがいらっしゃる方々、子どもと携わる方々。どうか、子どもたちに命の大切さを伝えてください。ここにいるあなたを、心から大切に思うと。

わたしは職場でよく「愛してるよ!」と言います。ひとりひとりを大切に思うことはもちろん、家族以外にもあなたのことを愛する大人がもう1人いるんだよ、ということを伝えるためです。

「せんせいはどうしていつもみんなに愛してるって言うの?」と聞かれたことがあります。「みんなのことがかわいくて大好きだからだよ」とハグをすると、彼女は嬉しそうに照れて毎週甘えてくれるようになりました。

大人は、子どもにたくさんの愛を伝えたい。大人同士でもまたそうです。希薄な時代と言われるけれど、人と人との繋がりはまだ強い。人はひとりでは生きられない。

長生きなんてしたくないと言うひともいるでしょう。でも人が死ぬと、誰かはきっと悲しむ。わたしの友人は、たくさんの人を泣かせました。彼女なりに人生を全うしたのだと信じているけれど、明るく美しく太陽のような彼女がどれだけみんなに愛されていたか、こんな形で知らせたくはなかった。

それでもわたしたちは、生きている。そして、生きていく。自分の毎日を。

大人になるにつれ、きっと悲しい別れは増えていくでしょう。この先ないなんてことはありえないけれど、せめて、こんなに辛く悲しいことは出来るだけ遠い未来にしてほしい、出来るだけないようにしてほしい、と心から思いました。

彼女を見送ることができたので、また自分の毎日を生きていきます。彼女に恥じないよう、前を向いて一生懸命に。

読んでくださってありがとうございます。こんな熱苦しい先生の毎日も、あと1ヶ月を切りました。これもひとつのお別れ。それもまた寂しいものですね、なんて 笑。

SNS