保育と教育

今とほんの数秒先を見据える

お久しぶりです。すっかり秋から冬へ……とはなかなかなりませんね!今日はわたしは半袖でよかったくらいです。暑かった。

最近は「時間は作るもの」とわかっていながら作れずにいる自分に自己嫌悪になりつつ、へろへろになりながら時差で連絡をお返ししているような毎日です。ようやくブログ更新できます。

今日は、いつかのnoteより。見返すと、こんなことを書いていたんだなあと新たな発見も生まれます。以下、少し語尾を改良してお届けします。

いつかのnoteより

今とほんの数秒先を見据える

保育士をしていてよかったことの一つに、予測ができるということがあります。

何事においても仕事をする以上はリスクマネジメントが必要かとは思います。会社員として今までそれを学んできたものの、保育士としてはまたさらに違う面でリスクを考えられるようになっています。

これは子育てでももちろん同じかと思うのだけれど、子どもというのは時に突拍子もなく信じがたいようなことをしますよね。大人なら「考えたらわかるのに!」というようなことが本当に多々ある。

でも子どもを預かる以上、安心と安全は最低限のこと。転んだすり傷など不可抗力で多めに見ていただきたい部分はあります。でも極力、何事もなく保護者のもとにお返ししたいもの。

その時に、保育士はとかく予測をします。しゃがめば、立ち上がる時にテーブルの角に頭をぶつけるのではないかと手で角を覆ったり。飛び跳ねては、すべって転んだらこのおもちゃで顔を打つのではないかと動かしたり。走って止まりきれなかったら落ちるのではないかと先回りしたり。

これはほんの一例なのだけれど、保護者よりも子どもの動きには過保護なくらい気を配っています。保育士ならきっとみんなそうでしょうね。

そんなわけで、見守り保育だろうと何だろうと、ぼーっと座っていることなどない。行動のひとつひとつに目を配り、その先を見ている。何かあってからでは遅い。そうならないよう、目の前の今とほんの数秒先を見ていなくてはならないのです。

自由に遊んでいるのを見守っているようで、神経を思いきり張り巡らせている。だから仕事後はどっと疲れる。張り詰めていたものが緩んでいくように。

子どもに関わる仕事をしている以上、その力は必要不可欠です。だからわたしは、保育士をしていてよかったと思う。

安心と安全の、その向こうにあるより質の高い保育ができるように。保育に答えはなくとも、試行錯誤してより良い保育をしていく。誰にとって良い保育か?

子ども、保護者、そしてきっと自分にとって。

いつも考えていたい。いつもプロフェッショナルでいるために。

プロフェッショナルかぁ。

なるほど、当時のわたしはこう考えていたわけだ。プロと言い切るのは、今でも少しためらいはあります。口では何とでも言えるけれど、果たして自分が「どれほどできているのか」という思いもあるからです。でも、保育に携わる以上はその思いは成長の糧にこそすれ、自信のなさにつなげてはならないと思っています。

謙虚さと自信のなさは別物です。いつでも謙虚でありたい。驕ることなかれ。

よく「保育士は子どもと遊んでいるだけで給料がもらえる」と言われます。わたしがではなく、保育士自体に対して。そんなわけない。国家資格を持つ人たちの仕事が、遊んでいるだけなわけがないのです。

保育士の仕事について、また改めてお話しできたらなと思います。NARIWAIでも、保育について取材をする予定です。熱いものになりそうな予感です……!

SNS